高校の頃、文字を追えなくなった話

高校の頃の話をさせて欲しい。

私は当時田舎に住むごく普通?の女のコだった。地元では進学校で有名な某高校を受験し、なんとか合格し見事女子高生となった。

 

ここから全てがおかしくなる。

進学校に受かる程度には勉強が出来たはずの私は勉強が全くできなくなったのだ。教科書を読んでも1文でさえ理解できない。文字が頭から滑り落ち、内容を理解することができない。数学も英語も全ての教科ができなくなった。成人したあと、やっと自分に合う病院に行き、当時の様子について推察してもらったら「恐らく重度の鬱」であったのであろうとのこと。そこまでの、記憶喪失のようなあからさまな症状はかなり重症だったであろうとのこと。ちなみにこの診断が降りた時には私はもう三十路だった。15歳から30歳まで原因も分からない脳の極度の衰えに答えを持てないでいた。鬱になったきっかけは恐らく「過労」とのこと。つまり受験勉強を頑張りすぎたのだ。確かに当時の受験勉強を死にそうなくらいに頑張った記憶はある。勉強してる時に、いきなり泣き出したことも数回ある。落ちたら人生終わりだと思っていた。しかし、これくらいのストレス皆経験するものだと思うし、やはり私自身が心が弱いのだろう。

家庭環境も良くはなかった。父は酒乱で毎晩暴れていたし、母は心が弱く幼く子供に依存することでメンタルを保つ過干渉系の毒母だった。ぶっちゃけ父より母の方に苦労した。洗脳的で同情心や愛情を利用して子供をコントロールしようとする人だった。私が高校の頃、精神を病んだのは母親による負の苗床がすでに作られていたからだと思う。事実、高校を卒業し勉強に悩まなくなった後も、脳の衰えは戻らなかった。受験はトリガーでしかなく、根本的な原因は家庭環境によるストレスだったのだ。勉強できた時の自分とできなくなった今の自分を比べて、まるでファンタジー漫画で呪いがかけられたようだと思っていた。そもそも勉強以外のことも軒並み能力が下がったため、ゴミのようなカースト地位でその後の人生を過ごした。

家族は私の鬱を誰1人信じていないし、勉強ができなくなったのは私の怠慢だと思っている。現在、家族との縁は薄い。本当に苦しい時に手を振り払われた経験は私のその後の家族不信を決定付けた。今とても穏やかに過ごせている。そして同時に切なく寂しくもある。

高校生の当時に親がちゃんと私の言い分を信じて病院に連れて行って薬をもらっていたら、学校を休ませてくれていたら、そもそも毒親とも言えるような態度で私に接していなければ

私は鬱にならずにすんだのかもしれない。

親に感謝すべき論が存在するのはわかるし、発展途上国の様子に比べたら日本は恵まれすぎなのだろう。でも、薬と同時に無理やり毒も飲まされてきた環境で育つとそんな簡単に考えることはできない。親が憎く、愛しく、恋しく、感謝もあり、許せない気持ちがぐちゃぐちゃに混じり合い、一言で表せる段階ではないのだ。

私は未だに精神疾患に悩まされている。終わりがいつ来るかもわからない。しかし、少しづつ良くはなっており、教習の学科試験に受かるくらいには勉強ができるようになった。それまでは勉強するとヒステリー球を発症し、喉が苦しくて仕方なく勉強に集中などできなかったのだ。

心が壊れるのは一瞬で治すには下手したら10年20年かかるというのを身をもって体験している。

もし鬱にならなかったら手に入れていたかもしれない存在しない世界を想像し、定期的に凹んでいる。私はどちらかと言うと不幸体質なのだろう。

この話に別にオチなどは無いのだが、少しネットの片隅に吐き出してみたくなったのだ。あと私と似たような症状になった人がいたらお話を聞いてみたい。

拙い文で申し訳ないが、ここまで読んでくれた人ありがとう。素敵なことがあなたに起こることを願っています。